
【CHAOS;CHILD SILENTSKY】感想
遅れてしまいましたが「CHAOS;CHILD SILENTSKY」を見に行って参りましたので、感想・評価を書きたいと思います。
シネマサンシャイン池袋にて、6/17(土)と6/26(月)で計二回見に行きました。
最初に見に行ってから二回目に見に行くまでに原作を一度やり直すことで、原作と比較しながら楽しみたいという狙いがありました。
やっぱり最初に見るのと原作をやり直してから見るのと二回目を見るのだと、見えてくるものは違ったので、二回見に行って良かったと思いました。DVD出てからなら何百回でも見直せるやんとか言っちゃだめ。
ライブ付き上映や舞台前挨拶付き上映もできれば行きたかったのですが、スケジュールの都合が付かなかったので断念しました。
ちなみに二回目に見に行った帰りには、他のブロガーさんがオススメしていたつけ麺屋で濃厚魚介つけ麺を食しました。
今までに口にしたつけ麺が全て無に還るレベルの美味しさでした。シュタゲを初めてプレイした時の「これより面白いゲームあんの!?」という衝撃と似ていました。
それでは、
・作画
・構成
・演出
・ラストシーン
という四点に着目して、感想・評価を書いて行きたいと思います。
概ね綺麗に描かれていたと思います。
作画崩壊しているような場面はなかったです。強いて言うなら、拓留の病室に入った時の拓留の顔が1カット変になってたぐらいでしょうか。あれにしても視点が遠かったので仕方なさもありました。
特に本劇場作品における主人公といえる世莉架の作画が終始安定していたというのは、良かったことだと思います。
また、病室での拓留を前にして様々な思慮を巡らす世莉架、エピローグで振り返る泉理+彼女についていく有村香月うきの動きなど、映像として拝むことができて良かったと思える場面もいくつかありました。
しかし、総合的に作画が良かったかと言われると、やはり首を縦に振ることはできないです。
何より作画の枚数が少なすぎるのは、やはり目に付きました。
和久井戦からが特に顕著でしたね。わっくんの中の人がめちゃくちゃかっこいい演技力を発揮しているのにも関わらず、絵はほぼ静止画&使い回しの連続でした。
カフェLAXにいるヒロイン達が話している場面でも、4回ぐらい同じカットが使い回されていたり。病室での会話で拓留が涙を流している場面も、なんだか微妙な表情に思えました。これ嬉し泣き……なのか……?
アニメ制作において作画の枚数を増やしたり質を上げたりするのは、とても大変なことだというのは承知しておりますが、劇場作品だっただけに手は抜いて欲しくなかった部分でした。
ということで、本劇場作品を観ていて一番不満に感じた部分は作画でした。逆に言えば、それ以外はほぼ文句の付け所のないクオリティだったわけですが。
構成で残念だった部分を挙げるとするなら、やはり50分という制約があったせいで、一部の台詞や描写がカットされてしまったことです。
確かにTRUEのメインテーマは拓留と世莉架の行き着く先であり、この二人の会話を重視した取捨選択は正解でした。
しかし、僕はTRUEでは二人のその関係以外にも、個人的に好きな場面はたくさんありました。
取捨選択は完璧だったとは言っても、言ってしまえばTRUEで捨てることのできるシーンなんてひとつもないと思っているので、それらの場面が止むを得ず削られてしまったことはちょっと残念でした。
ちなみに特に好きだった場面は以下の三つです。
・久野里さんの拓留に対する想いの変化


・11章との対比となる「それじゃあ……さよなら」という台詞




・和久井戦における拓留の肝の据わり方


これらは残念ながら本劇場作品ではカットされてしまい、描写されることはありませんでした。
しかし、削られてしまって残念だったシーンは多少あったとはいえ、それを考慮しても本劇場作品の取捨選択は完璧だったと褒めるほかないと思います。「原作のことがわかっていない!」なんて言うハメにはなりませんでした。(n回目)
CHAOS;CHILDにおける最も重要な要素は人間ドラマであり、中でも本作品の結末となるTRUE ENDのテーマとなっているのは、主人公「宮代拓留」とメインヒロイン「尾上世莉架」の二人の関係です。
TRUEは事件の渦中の人物となってしまった拓留と世莉架の、その後の選択を描いていく話となります。
本劇場作品の「ふたりの道が向かう先は――」というキャッチコピーは、正にそれを完璧に表現し切っていると感じました。

本劇場作品はこの二人の関係に、重点的にスポットライトを当てた構成となっていました。
地下へ潜入するまでの過程をダイジェストにしてまで、拓留と世莉架の会話をほぼノーカットでお送りしてくれました。
特に原作をプレイしていた時に涙腺を刺激された、「それが、今、君のやりたいことなの?」や「親友だよ」という台詞。これらをきっちり強調しつつ収めてくれたのは、本当に良かったです。
上述しましたが、「それが、今、君のやりたいことなの?」や「親友だよ」という拓留の台詞と同時に、BGMを切り替える演出。原作でもありましたが、しっかり再現されていて良かったです。
病室での会話中に流れたWHAT WAS LOSTには、こみ上げてくるものがありました。
欲張りを言わせていただくならば、「原作で使われていたあのBGMを劇場でも聞きたかった!」という気持ちはありました。
もちろんonoken氏がアニメ用に作曲した曲も好きなので、あれはあれで良かったのですが。
しかし原作で好きだった和久井戦で流れる「DI-SWORD OF SADNESS」、クリア後にタイトル画面で流れる「SILENT WORLD」が流れなかったのは、ちょっと名残惜しかったですね。
特に「SILENT WORLD」は原作での使われ方が素晴らし過ぎたので、是非劇場でも聴きたかった曲でした。
タイトル画面でかかるサイコサスペンス調のメインテーマが、クリア後はイントロはそのままにしんみりしたメロディの曲に変わる。物語を読み終わって胸にぽっかりと開いてしまった穴に、染み渡るような曲でした。
テキストを全て読み進めて「FIN」の文字が出て、タイトル画面に戻されて「SILENT WORLD」を聴くまでがCHAOS;CHILDというゲームだと思っているので、スタッフロールにでも流して欲しかったですね。(仕方なく帰りの電車内で聴きまくって補完しました)
しかし「音楽の使い方」という観点において、CHAOS;CHILDのファンが本劇場作品を見るにあたって最も気がかりだったことといえば……「あの曲」の使い方に他ならないでしょう。
「silent wind bell」の使い方。これはもう最高でした。
本劇場作品では世莉架が劇場から出た後に、カフェLAXで話す泉理達の場面をバックに流れるという使われ方をしました。
この改変に関しては原作の「劇場→拍手→silent wind bellと共にスタッフロール」という流れが究極過ぎたので、賛否が分かれる部分だと思います。
しかし、僕はこの使われ方もこれはこれで良かったと思いました。
silent wind bellは、拓留の選択と決意が歌われている曲。
物語の全てを歌っている曲が物語のエピローグで使われるというのは、正に映像作品においては理想的な使われ方だったのではないでしょうか。
実は、「エピローグで登場人物達が話している中バックでsilent wind bellが流れている場面が見たい」というのは、この作品のアニメ化が決まってからの夢でした。
原作と同じようにスタッフロールで使われてももちろん嬉しかったですが、やはり映像作品にしかできない演出を観たかったと切に願っていました。
まさかこうして思った通りの演出を、それも原作でも登場した劇場という場所で、拝むことができるとは……。本当に嬉しかったです。
作品の全てが集約されていると言っても過言ではない、TRUEのラストシーン。
これは本劇場作品の全てが集約されていたと思わされるような作画・演出でした。
何が良かったかと言われても、正直言葉じゃ表現し切れないので「とにかく見てください」としか言いようがないのですが、箇条書きをすると特にこの辺りに感銘を受けました。
・間を置いて見つめ合う拓留と世莉架
・二人の姿以外が白く塗り潰される描写
・世莉架の歩いていく道は「明るく」、拓留の歩いていく道は「暗い」ことを表現
・OPの「次のバスに乗るよ」のシーンの回収
僕は原作のTRUEは何周もやり直しましたが、本劇場作品のこのシーンにかけては原作を超えていたと言ってもいいと思いました。
誰よりも「知る」ということに拘っていた宮代拓留の最後の台詞は、小さい頃からいつも隣に居た幼馴染のことを「知らない」と言うことだった。
「ううん。知らない人」
涙を拭って笑みを浮かべる世莉架と。
「うん。僕もキミなんて知らない」
世莉架の後姿を見ながら微笑む拓留。
二人の別れの台詞の言い方は、ビターエンドであることを感じさせる原作とは違って聞こえました。BGMも相まって、とても二人の前向きさを感じさせてくれるものでした。

拓留と世莉架の前向きさ……それは果たして、無理矢理繕われたものなのでしょうか。答えはわかりませんが、彼らにとっては無粋な問いでしょう。
拓留は自分が流した涙を嬉し涙だと信じて、選択した道を歩んでいくと決めたのですから。
衝撃の最終回を迎えたアニメ「CHAOS;CHILD」のイベント上映作品、「CHAOS;CHILD SILENTSKY」。評価としては、作画以外は全部良かったと言ってもいいぐらい完成されていた作品だったと思いました。
アニメと違って尺不足に悩まされることがなく、原作のことをわかっていると感じさせられる話の取捨選択や強調演出のおかげで、とても楽しむことができました。二回見に行ってしまうレベルには面白かったです。
細かい不満点はちょこちょこ出てしまいましたが、それを考慮してもsilent wind bellが流れていた場面とラストシーンの場面だけで金を払って見に来た価値はあったと思いました。
前者は本作のアニメ化が決まってから一番見たかった場面、後者は原作を超えていたと強く思わされた場面だったので、最高でした。
それらを2週間限定イベント上映という形とはいえ、劇場という場所で観ることが叶って、本当に良かったです。
劇場でsilent wind bellが流れた時、「これで終わってしまうのか」という気持ちにさせられ、涙が出てしまいました。
カオチャはアニメの放送が終わり、ファンディスクと小説が発売され、ラジオとサウンドドラマの配信も終了し、これにてイベント上映も完了したので、一先ずコンテンツとして一区切りを迎えることになりそうです。
チヨスタライブでも情報はひとつも出ませんでしたし、しばらく音沙汰がなくなるかもしれませんね。
それでも科学ADVシリーズのことですから、年月が経てばいずれ何かしらの動きはあるかもしれません。
去年このゲームをプレイしてからは約一年間信者と化していましたが、信者となったことに後悔しないぐらいたくさんのものを公式から与えられてきました。
たとえその供給がなくなったとしても、CHAOS;CHILDが自分の中で大切な作品であることは、一生変わらないのだろうと思います。
ありがとう。CHAOS;CHILD。

はじめに
シネマサンシャイン池袋にて、6/17(土)と6/26(月)で計二回見に行きました。
最初に見に行ってから二回目に見に行くまでに原作を一度やり直すことで、原作と比較しながら楽しみたいという狙いがありました。
やっぱり最初に見るのと原作をやり直してから見るのと二回目を見るのだと、見えてくるものは違ったので、二回見に行って良かったと思いました。DVD出てからなら何百回でも見直せるやんとか言っちゃだめ。
ライブ付き上映や舞台前挨拶付き上映もできれば行きたかったのですが、スケジュールの都合が付かなかったので断念しました。
ちなみに二回目に見に行った帰りには、他のブロガーさんがオススメしていたつけ麺屋で濃厚魚介つけ麺を食しました。
今までに口にしたつけ麺が全て無に還るレベルの美味しさでした。シュタゲを初めてプレイした時の「これより面白いゲームあんの!?」という衝撃と似ていました。
それでは、
・作画
・構成
・演出
・ラストシーン
という四点に着目して、感想・評価を書いて行きたいと思います。
作画
概ね綺麗に描かれていたと思います。
作画崩壊しているような場面はなかったです。強いて言うなら、拓留の病室に入った時の拓留の顔が1カット変になってたぐらいでしょうか。あれにしても視点が遠かったので仕方なさもありました。
特に本劇場作品における主人公といえる世莉架の作画が終始安定していたというのは、良かったことだと思います。
また、病室での拓留を前にして様々な思慮を巡らす世莉架、エピローグで振り返る泉理+彼女についていく有村香月うきの動きなど、映像として拝むことができて良かったと思える場面もいくつかありました。
しかし、総合的に作画が良かったかと言われると、やはり首を縦に振ることはできないです。
何より作画の枚数が少なすぎるのは、やはり目に付きました。
和久井戦からが特に顕著でしたね。わっくんの中の人がめちゃくちゃかっこいい演技力を発揮しているのにも関わらず、絵はほぼ静止画&使い回しの連続でした。
カフェLAXにいるヒロイン達が話している場面でも、4回ぐらい同じカットが使い回されていたり。病室での会話で拓留が涙を流している場面も、なんだか微妙な表情に思えました。これ嬉し泣き……なのか……?
アニメ制作において作画の枚数を増やしたり質を上げたりするのは、とても大変なことだというのは承知しておりますが、劇場作品だっただけに手は抜いて欲しくなかった部分でした。
ということで、本劇場作品を観ていて一番不満に感じた部分は作画でした。逆に言えば、それ以外はほぼ文句の付け所のないクオリティだったわけですが。
構成
構成で残念だった部分を挙げるとするなら、やはり50分という制約があったせいで、一部の台詞や描写がカットされてしまったことです。
確かにTRUEのメインテーマは拓留と世莉架の行き着く先であり、この二人の会話を重視した取捨選択は正解でした。
しかし、僕はTRUEでは二人のその関係以外にも、個人的に好きな場面はたくさんありました。
取捨選択は完璧だったとは言っても、言ってしまえばTRUEで捨てることのできるシーンなんてひとつもないと思っているので、それらの場面が止むを得ず削られてしまったことはちょっと残念でした。
ちなみに特に好きだった場面は以下の三つです。
・久野里さんの拓留に対する想いの変化


・11章との対比となる「それじゃあ……さよなら」という台詞




・和久井戦における拓留の肝の据わり方


これらは残念ながら本劇場作品ではカットされてしまい、描写されることはありませんでした。
しかし、削られてしまって残念だったシーンは多少あったとはいえ、それを考慮しても本劇場作品の取捨選択は完璧だったと褒めるほかないと思います。「原作のことがわかっていない!」なんて言うハメにはなりませんでした。(n回目)
CHAOS;CHILDにおける最も重要な要素は人間ドラマであり、中でも本作品の結末となるTRUE ENDのテーマとなっているのは、主人公「宮代拓留」とメインヒロイン「尾上世莉架」の二人の関係です。
TRUEは事件の渦中の人物となってしまった拓留と世莉架の、その後の選択を描いていく話となります。
本劇場作品の「ふたりの道が向かう先は――」というキャッチコピーは、正にそれを完璧に表現し切っていると感じました。

本劇場作品はこの二人の関係に、重点的にスポットライトを当てた構成となっていました。
地下へ潜入するまでの過程をダイジェストにしてまで、拓留と世莉架の会話をほぼノーカットでお送りしてくれました。
特に原作をプレイしていた時に涙腺を刺激された、「それが、今、君のやりたいことなの?」や「親友だよ」という台詞。これらをきっちり強調しつつ収めてくれたのは、本当に良かったです。
演出(音楽の使い方など)
上述しましたが、「それが、今、君のやりたいことなの?」や「親友だよ」という拓留の台詞と同時に、BGMを切り替える演出。原作でもありましたが、しっかり再現されていて良かったです。
病室での会話中に流れたWHAT WAS LOSTには、こみ上げてくるものがありました。
欲張りを言わせていただくならば、「原作で使われていたあのBGMを劇場でも聞きたかった!」という気持ちはありました。
もちろんonoken氏がアニメ用に作曲した曲も好きなので、あれはあれで良かったのですが。
しかし原作で好きだった和久井戦で流れる「DI-SWORD OF SADNESS」、クリア後にタイトル画面で流れる「SILENT WORLD」が流れなかったのは、ちょっと名残惜しかったですね。
特に「SILENT WORLD」は原作での使われ方が素晴らし過ぎたので、是非劇場でも聴きたかった曲でした。
タイトル画面でかかるサイコサスペンス調のメインテーマが、クリア後はイントロはそのままにしんみりしたメロディの曲に変わる。物語を読み終わって胸にぽっかりと開いてしまった穴に、染み渡るような曲でした。
テキストを全て読み進めて「FIN」の文字が出て、タイトル画面に戻されて「SILENT WORLD」を聴くまでがCHAOS;CHILDというゲームだと思っているので、スタッフロールにでも流して欲しかったですね。(仕方なく帰りの電車内で聴きまくって補完しました)
しかし「音楽の使い方」という観点において、CHAOS;CHILDのファンが本劇場作品を見るにあたって最も気がかりだったことといえば……「あの曲」の使い方に他ならないでしょう。
「silent wind bell」の使い方。これはもう最高でした。
本劇場作品では世莉架が劇場から出た後に、カフェLAXで話す泉理達の場面をバックに流れるという使われ方をしました。
この改変に関しては原作の「劇場→拍手→silent wind bellと共にスタッフロール」という流れが究極過ぎたので、賛否が分かれる部分だと思います。
しかし、僕はこの使われ方もこれはこれで良かったと思いました。
silent wind bellは、拓留の選択と決意が歌われている曲。
物語の全てを歌っている曲が物語のエピローグで使われるというのは、正に映像作品においては理想的な使われ方だったのではないでしょうか。
実は、「エピローグで登場人物達が話している中バックでsilent wind bellが流れている場面が見たい」というのは、この作品のアニメ化が決まってからの夢でした。
原作と同じようにスタッフロールで使われてももちろん嬉しかったですが、やはり映像作品にしかできない演出を観たかったと切に願っていました。
まさかこうして思った通りの演出を、それも原作でも登場した劇場という場所で、拝むことができるとは……。本当に嬉しかったです。
ラストシーン
作品の全てが集約されていると言っても過言ではない、TRUEのラストシーン。
これは本劇場作品の全てが集約されていたと思わされるような作画・演出でした。
何が良かったかと言われても、正直言葉じゃ表現し切れないので「とにかく見てください」としか言いようがないのですが、箇条書きをすると特にこの辺りに感銘を受けました。
・間を置いて見つめ合う拓留と世莉架
・二人の姿以外が白く塗り潰される描写
・世莉架の歩いていく道は「明るく」、拓留の歩いていく道は「暗い」ことを表現
・OPの「次のバスに乗るよ」のシーンの回収
僕は原作のTRUEは何周もやり直しましたが、本劇場作品のこのシーンにかけては原作を超えていたと言ってもいいと思いました。
誰よりも「知る」ということに拘っていた宮代拓留の最後の台詞は、小さい頃からいつも隣に居た幼馴染のことを「知らない」と言うことだった。
「ううん。知らない人」
涙を拭って笑みを浮かべる世莉架と。
「うん。僕もキミなんて知らない」
世莉架の後姿を見ながら微笑む拓留。
二人の別れの台詞の言い方は、ビターエンドであることを感じさせる原作とは違って聞こえました。BGMも相まって、とても二人の前向きさを感じさせてくれるものでした。

拓留と世莉架の前向きさ……それは果たして、無理矢理繕われたものなのでしょうか。答えはわかりませんが、彼らにとっては無粋な問いでしょう。
拓留は自分が流した涙を嬉し涙だと信じて、選択した道を歩んでいくと決めたのですから。
おわりに
衝撃の最終回を迎えたアニメ「CHAOS;CHILD」のイベント上映作品、「CHAOS;CHILD SILENTSKY」。評価としては、作画以外は全部良かったと言ってもいいぐらい完成されていた作品だったと思いました。
アニメと違って尺不足に悩まされることがなく、原作のことをわかっていると感じさせられる話の取捨選択や強調演出のおかげで、とても楽しむことができました。二回見に行ってしまうレベルには面白かったです。
細かい不満点はちょこちょこ出てしまいましたが、それを考慮してもsilent wind bellが流れていた場面とラストシーンの場面だけで金を払って見に来た価値はあったと思いました。
前者は本作のアニメ化が決まってから一番見たかった場面、後者は原作を超えていたと強く思わされた場面だったので、最高でした。
それらを2週間限定イベント上映という形とはいえ、劇場という場所で観ることが叶って、本当に良かったです。
劇場でsilent wind bellが流れた時、「これで終わってしまうのか」という気持ちにさせられ、涙が出てしまいました。
カオチャはアニメの放送が終わり、ファンディスクと小説が発売され、ラジオとサウンドドラマの配信も終了し、これにてイベント上映も完了したので、一先ずコンテンツとして一区切りを迎えることになりそうです。
チヨスタライブでも情報はひとつも出ませんでしたし、しばらく音沙汰がなくなるかもしれませんね。
それでも科学ADVシリーズのことですから、年月が経てばいずれ何かしらの動きはあるかもしれません。
去年このゲームをプレイしてからは約一年間信者と化していましたが、信者となったことに後悔しないぐらいたくさんのものを公式から与えられてきました。
たとえその供給がなくなったとしても、CHAOS;CHILDが自分の中で大切な作品であることは、一生変わらないのだろうと思います。
ありがとう。CHAOS;CHILD。
